まつむし音楽堂通信

 2014年 初夏号

 

●人間国宝、竹本住大夫さん(八十九歳)最後の演目となる「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」(国立文楽劇場)には大勢の観客が詰めかけ名人芸を名残惜しみました。大阪が誇るべき郷土芸術の粋、義太夫節の創始者、竹本義太夫が没してことしで三百有余年。墓所のある天王寺大道、超願寺のそばを車で通り過ぎつつ文楽の未来に思いを馳せました。

●江戸弁の常磐津と違い、義太夫節は大阪弁でないと成り立ちません。大阪に国立劇場を誘致、その建設に貢献したのは近畿日本鉄道の元会長で大阪商工会議所会頭、文楽協会理事長も務めた故佐伯勇氏ですが、その功績、郷土愛にも思いを馳せるべきでしょう。この春オ-プンした「あべのハルカス」近鉄劇場で行われた文楽公演も、大阪芸能再興の兆しとみなければなりません。

●浄瑠璃作家の巨人、近松門左衛門が生きた時代は、文豪シェ-クスピアが生きた時代と重なります。太夫、人形遣い、三味線(太棹)の融合によって完成した文楽(人形浄瑠璃)は、歌手(役者)とオ-ケストラが一体となって展開するオペラと対比することができます。オペラは指揮者(マエストロ)の下に統括されますが、文楽に指揮者はいません。語りも三味線も人形遣いも舞台以外では交わることがないので、能や狂言のように「間(ま)」をはかりながら完成する芸術といえましょう。

●人形浄瑠璃は西宮神社や御霊(ごりょう)神社、生国魂(いくたま)神社の境外末社・浄瑠璃神社などで神事と一体となって発達しました。西洋の歌劇(オペラ)は、片田舎の芝居小屋から、やがてオペラ座など大規模な舞台装置へ、豪華な見世物へと発展しています。ですから、劇場へ足を運ぶとなると、ちょっとした勇気と、下地となる感覚、多少の知識や経験が必要かもしれません。

●かつての大阪の旦那衆、財界が郷土芸術に投資したのは、人を育てるためであって、目先の金儲けに走ったわけではありません。西洋でも、音楽は神様への捧げ物として始まり、印刷やレコ-ドの発明とともに大きな市場が生まれたのです。芸術の奥深い森の中に誘い込み、この上ない感動を与えてくれる禁断の商品が、待たれているのではないでしょうか。

(和田高幸)

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