まつむし音楽堂通信

 2017年 初夏号

 

●4人に1人が65歳以上という本格的な高齢社会となり、「就活」(就職活動)ならぬ「終活」(終末活動)に精を出すのが、わたしにとっても日常となりつつあります。資産の相続や遺言、事業の承継など、「終活」は人によってさまざまです。人生の終わりころに自伝を書く時間だけは残しておくというのが西洋流の生き方らしいのですが、「自伝」ならずとも、写真帳や日記のようなものでもそれなりに整理しておくのが後進たちへのマナーといえるかもしれません。

●若いときは働くのに精いっぱいで、楽しみは老後に残しておこうとお気に入りの放送番組を録音・録画したり、すぐには読んだり聴いたりしない書籍やレコードでも、とりあえずは買っておこうとため込んでいるようなケースが少なくありません。「リタイア後」にそれらを楽しむ余裕があればいいのですが、なかなかうまくいかないのが実情です。

●「老後への不安」は「出生率の低下」とリンクしているようです。バッハが作曲したカンタータ147番の旋律は、「早くこの世の光を見たい」、と誕生を待ち切れずに母親の胎内を蹴りまくる胎児のようすを表現したといわれていますが、いまは、その胎児が望むような、目くるめく活力にあふれた社会とは程遠く、人生における数々の試練や苦労を乗り越えてもなお、そこはかとない閉塞感がひろがっています。

●わたしたちは自分の意志で生まれてきたわけではありませんが、だからといって自分の意志で死ぬこともできません。つまり、死ぬまで生きるわけですが、黄泉(よみ)の世界からきてふたたび黄泉へもどるのが宿命。「生まれて始めに瞑(くら)く、死んで終わりに瞑し(空海)」ならば、人生は刹那(せつな)の光明かもしれません。これをきっと、「勿体(もったい)無い」というのでしょう-。

(和田高幸)

←「まつむし通信Topへ」

▲Top