まつむし音楽堂通信

 2017年 秋号

 

●9月26日は陰陽師で知られる安倍晴明公の命日です。安倍晴明が誕生したのは安倍一族ゆかりの阿倍野区、旧熊野街道沿いの安倍晴明神社(阿倍王子神社摂社)のあたり。毎年9月26日には、大祭が行われています。

●大祭のあとの直会(なおらい)では落語や漫才で楽しんでもらうのが恒例。締めくくりはクラシックの音楽会で、ことしもやりました。大阪、阿倍野にゆかりのある作曲家、作詞家をつなぎ、古今集や万葉集など古典もふまえての構成です。

●まず、国歌きみがよの斉唱ならず独唱(オペラ歌手)です。楽曲としての「きみがよ」の元歌は「わがきみは」で始まる恋歌(古今集)で、平安時代の俗謡をもとに明治時代、林廣守とお雇い外国人のエッケルトが平均律の楽譜に改めたものです。当時の旋律は、雅楽の壱越調(いちこつちょう)にもとづいており、今日の平均律とは音程が微妙に異なるので、独唱者にとっては難しい曲のひとつかもしれません。

●外来の音楽、雅楽のルーツは四天王寺です。昔は大陸、半島とのつながりがつよかったのでしょう。ただ、和歌は、日本独自のものといえます。万葉集の選者の一人、大伴家持(ことし1300年忌)の長歌から採った「海ゆかば」(信時 潔作曲)も演奏しました。この歌にも「おほきみの」とでてきます。

●「きみがよ」の「きみ」も、「おほきみ」の「きみ」も、妻か愛人、あるいは女王であったか、いずれにしても女性であったと思われます。おほきみの傍で死ねれば本望、悔いはないという内容なのです。つまり、「一家」の中心は女性で、もちろん「心」の中心でもあったのですね。

●ならば「国家」の中心が女性であったとしても不思議ではありません。わが国でも女王ヒミコの時代があり、神功皇后という勇敢な女帝もいました。日本ほど歴史は古くありませんが、イギリスの国歌(God Save The Queen)も、女王を讃える歌になっています。

●「海ゆかば」は戦時中、「第二国歌」ともいわれ、よく歌われました。作曲した信時 潔は、大阪北教会(当時)の牧師の息子でしたが、同じくクリスチャンの家庭で育った作詞家(芥川賞作家)で童謡「サッちゃん」で有名な阪田寛夫の従弟、大中恩の師匠でもありました。大中 恩の父は「椰子の実」を作曲した大中寅二で、大阪南教会でオルガニストをつとめていた母の弟にあたります。

●校歌など、多くの式典曲を作曲した信時 潔は北原白秋らとともに、国民から公募した「愛国行進曲」(瀬戸口藤吉作曲)の審査員にも名前を連ねています。この曲は、とにかく元気の出る曲で、気合が入ります。英語に翻訳された格調高い歌詞もありますが、戦後独立したインドネシアでは「第二国歌」として日本語で歌われています。日本は戦争に敗れたとはいえ、東南アジアを欧米の植民地から解放した大恩人となったのです。

●「第二国歌」といえば日本ではこの歌でしょう。「ふるさと」です。東北大震災以後はとくに、この歌はだれで歌える国民的歌謡として定着しました。ということで、最後は「ふるさと」でおひらきといたしました。

●戦後は伝統的な大家族制が崩壊し、「一家」の中心は「一個人」になりました。「一家」の集合体としての「国家」も、国を愛するという意識も希薄になりましたが、わたし個人が、懐古趣味として歌った「海ゆかば」「愛国行進曲」に涙したお客様もおられたことを知りました。ありがとうございました。

(和田高幸)

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