まつむし音楽堂通信

 2018年 春号

 

●モノが不足していた大量生産の時代から「消費」を賞賛する時代、さらに「飽食」へと時代が移行、現代はモノが充足しながらも「IT」が席巻、産業構造の変化により金銭の流れが極端に偏り、停滞している時代といえるでしょうか。そのため新しい「貧困」も生まれています。

●1980年代の東西ドイツの統合、ソ連の崩壊などイデオロギーの時代、「力」の時代が終焉を迎え、「環境の世紀」(レイチェル・カーソン)がやってきます。いわゆる「ポスト産業社会」です。これに精神性が加わると「ポストモダン」という表現になるのでしょうか。つまり「モノ」から「精神」、あるいは「ハード」から「ソフト」の時代へ移行したというわけです。

●西洋という社会から生まれた近代合理主義を脱却して、新しいパラダイムをつくりあげるというのが「ポストモダン」社会ですが、ここで重視される「精神性」が、自国の安全、安泰を優先する「ナショナリズム」に傾斜するのも自然の流れといえます。現在のアメリカやイギリスの動きがこれに相当するでしょう。

●「ウーマンリブ」「ジェンダーフリー」の先進国、デンマークではこの春、ドイツ出身の作曲家クーラウ(1786-1832)のオペラ「ルル」が180年ぶりにデンマーク王立劇場で再演されました。演出が斬新なのはともかく、大道具や衣裳までも、すっかり「ポストクラシック」となった舞台に、わたしはかるい衝撃を受けました。聴衆はすでに、クーラウをデンマークの作曲家として受け入れていたのですね。イギリスにおける「ヘンデル(1685-1759)」も同様というべきでしょう。

●中国は毛沢東時代に、自国の歴史も文化も破壊し尽しました。今やアメリカに次ぐ経済大国となったので、威厳と体面を保つため失った過去の遺物や文化を取り戻そうとしているのでしょう。しかし、贋作やコピーがいくらうまくても、それは容易ではありません。ならば、タイムカプセルのように過去の大陸文化や遺物が保存された島国、日本や台湾を取り込めば済むことだ、とかんがえるかもしれません。つまり「威厳」とか固有の「文化」は、ナショナリズムには欠かせないものだからです。

●さて日本は-。すこしでも安いモノをつくって売りまくる高度成長時代でないことは明らかです。高齢化、人口減少社会では消費パワーも低減、国力も衰退します。が、日本には水や木材が豊富にあります。米(こめ)に代表されるように日本に適した農作物も少なくありません。これらを生かすのは、たぶん日本人の「精神」でしょう。ところで、インドで生産される野菜の半分はオーガニック(無農薬)というのを聞きました。「お金」の価値が従前の魅力を失い、「文化」とか「精神」にシフトしているのかもしれません。

(和田高幸)

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