まつむし音楽堂通信

 2018年 初秋号

 

●よく指摘されることですが、日本という国のユニークさ、つまり世界最古の独立国で天皇制であるとか、言語が統一されているとか、はともかく、先端技術や新制度を採り入れては消化してしまうといった習性ですが、その源泉はいったいどこにあるのでしょう。

●「ハムレット」(シェークスピア作)の叫び「To be or not to be」(生きるか死ぬか)に代表されるように、西洋は「二元論」の世界といってもよいでしょう。しかし日本では、「生死」「善悪」「陰陽」「YES・NO」・・・どちらでもないことが多い。中立でもないが、中間でもない、つまり「善」であったり「悪」であったりするのです。「対立物」の調和とでもいえるでしょうか、「割り切れ」なくても「なんとなく」なのです。

●日本史を紐解くと、縄文時代、弥生時代というのがあって、縄文は狩猟・採集文化。いっぽう弥生は稲作、「田」の文化です。東北地方に花開いた縄文文化は、「森」の文化といえるでしょう。「森」の文化は、どちらかといえば西洋的です。「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」・・・。「イーハトーブ」(岩手・東北)に生まれた宮澤賢治の作品に西洋の匂いが感じられるのは、そのためでしょう。

●ほとんどが山林で平地は水田、といった日本の国土には「縄文」と「弥生」が混在しています。これらが融合して、日本の文化となり伝統となったのでしょうね。さて、関西は弥生文化の中心。弥生人は、外国の文化に敏感という特徴をもっているそうですが、関西の風土にはアジアが感じられます。やがて「東洋」と「西洋」といった二元論の対立が解消されるでしょうが、それは「東京」において、それとも「大阪」でしょうか―。

(和田高幸)

←「まつむし通信Topへ」

▲Top