まつむし音楽堂通信

 2019年 盛夏号

 

●いわゆる「団塊の世代」は、高齢社会においても大きな人口構成比を占めています。高度経済成長期に学齢期を過ごし、国民共通の媒体として話題を提供するラジオやテレビの生番組を積極的に視聴した世代、進学競争の波にもまれ狭き門となった大学のキャンパスでヘルメットを被った世代。さて、その子弟となる「団塊ジュニア」たちが、今や社会の中核となったのです。

●「団塊」は「泣いてくれるな、おっかさん」(1968年の東大闘争)と親子関係を断罪しましたが、「団塊ジュニア」たちも同じように、親世代に残る「昭和ノスタルジー」の残滓を「コンプライアンス(法令遵守)違反」と断罪するのでしょうか。過去を悪しきものとして断罪し、慢心の自我を肯定するのは人の常かもしれません。

●年金財源の枯渇と若者たちへの負担増、すっかり定着してしまったデフレ経済が「就職氷河期難民」といわれる「団塊ジュニア」世代を憤怒させています。高度成長期やバブル経済を体験しなかった「ジュニア」たちのヤッカミが、「団塊」を攻撃するのは必然でしょう。「お前たちだけいい思いをして、それでいいのか」と。

●世界が、それを構成する国々が自己主張する時代となりました。時代は、大きく転換しています。アナログからデジタルへ、情報の共有より個人情報の拡散へ。こんな時代の流れに、高齢化した「団塊」はうまく乗れるのでしょうか。人生の終末期に入ったとはいえ、競争社会を生き延びた「団塊」たちは、仲間を押しのけても「自己主張」を通すでしょう。もしそれが通らなくても、「勝手にしろ」と居直るにちがいありません。

●高齢社会では、それを構成する高齢者同士、あるいは若者や異性との摩擦が起こることも配慮しなければなりません。そのために、音楽や芸能、学術など各方面で、高齢者たちの「星」となる「アイドル」の出現が待たれる(つまりオモシロイものを探している)のですが―。

(和田高幸)

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