まつむし音楽堂通信

 2019年 残暑号

 

●「お盆」が明けて夏の高校野球決勝戦が終わりました。ラジオから聞こえる「熱中症」の警告も少なくなり、「秋」の訪れを予感する季節になりましたが、気温が下がると、寒い「冬」も目の前です。“四季それぞれの変化があるから退屈しなくてすむ、だから日本はいい国だ”という解釈も成り立ちますね。

●ところで「お盆」といえば、祖先たちが家に帰ってくる、だから野菜やお団子をお供えして盆提灯でお迎えし、「送り火」を焚いて盆明けとなるわけです。亡くなった祖先たちはもちろん目に見えませんが、昔から連綿と、各地でお盆の行事が行われていることをかんがえると、お盆が「あの世」と「この世」をつなぐ通路になっているのかもしれません。

●お盆のような年中行事は、人によっては「退屈しのぎ」になっているし、「帰省」や「海外旅行」はGDPを押し上げる効果もあるでしょう。休暇を楽しむ季節でもありますが、一方、「原爆」や「御巣鷹山」も8月でした。日本人にとっては「弔い」の季節ともなっています。

●まつむし音楽堂でも同17日、「物故者慰霊祭」を行いました。故人の個々のお名前はお呼びせずに、苗字に「家」をつけておよびしましたが、きっと、ゆかりのある祖先の方々が大勢お見えになったのでしょう。祖先に呼びかけて魂を招来、ふたたび帰っていただくという導師の役目は並大抵ではなかった、と参加者の方が教えてくれました。通常を超えた視覚をもつ人たちがいるのですね。

●仏教伝来以前の古神道は滅び、仏教と習合して両部神道となりましたが、明治期に神仏が分離しました。日本列島には古来、ゾロアスター教(拝火教)や景教(ネストリウス派)、ロシア正教など多彩な宗教、宗派がやってきて定着しています。したがって、日本人は宗教や外来文化に受容的といえるでしょう。

●神道では、人が死ねば「神」になるとされています。魂は山へ行き、年月とともに上昇するのだといわれていますから、死んだあとも「時間」は存在するのでしょうね。魂に「意識」があるのかどうか、わかりません。「この世」のわたしたちの意識とはかなり違っているようですが、たしかめようがありません。ただ人間は、「死後」にも、なんらかのかたちで存在するのだろうな、ということだけはわかってきました―。

(和田高幸)

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