《未体験塾》 UFOと接近遭遇、至近距離での撮影に成功!
実体験が語る「UFOと宇宙人の真実」
語り手:和田高幸(神秘のUFO写真集「未知の彼方へ」編著者)
No.13 1978年バス海峡(豪州)セスナ機失踪事件
1978年10月21日の晩、豪州のパイロット、フレデリック・バレンチッチ(当時20歳)がヴィクトリア州のバス海峡上空を訓練飛行中、「四つの緑色の光源をもつ高速の飛行物体」(UFO)に追跡されている」「甲高い金属的な雑音(録音もあるらしい)が聞こえる」と伝えてまもなく交信を絶った。その後、空軍や付近を航行する外洋船、8機の民間機など1000平方マイルにも亘る広域の捜索が行われたが、失踪したセスナ機の消息は不明、墜落の形跡も発見することができなかった。交信内容から、UFO(未確認飛行物体)の関与は明らかといわれているが―。
セスナ機が消息を絶ったバス海峡は、「バーミューダ・トライアングル」といわれる「魔の三角海域」と同様、過去にも謎の失踪事件が多数起きているという。UFOの目撃事例も多く、関連があるかもしれない。両海域でこれまでに原因が究明された失踪事件も少なくないと思われるが、それらの海域に共通した特徴に習熟しなかったばかりに事故につながったケースもあるだろう。ただ、バレンチッチのケースでは、管制塔との交信内容がUFOの存在を示唆していることが特筆される。豪州では、物理的な痕跡が明らかな「車の宙吊り」事件(1988)もあったが、いずれも第一級のミステリー事件として日本でも大きく報道されたのである。
バス海峡でセスナ機が失踪した1978年の秋、わたしは大阪の豪州領事館へ出向き、事件を報道する新聞記事を手に入れることができた。担当の事務官は、わたしがUFOに関心があることを知り、当時ここで領事をしていたニュージーランドの職業パイロットP・T氏(ブルース・キャシー)の著書(日本語訳:「謎の反重力網」大陸書房刊)をくださった。P・T氏は、UFO研究の草分け、高梨純一氏と交流があったようだが、高梨氏の実弟が当時わたしの勤務する産経新聞(大阪本社)の僚紙、日本工業新聞におられたのを記憶している。
「謎の反重力網」(原題は「Harmonic 695 the UFO and anti-gravity」)「反重力網」は、わたしの愛読書のひとつとなった。海外では『グリッド理論』として知られている。タイトルとなった「反重力網」は、アインシュタインの統一場理論における原子力や磁場とも関係しているようだ。キャシーは、当時ニュージーランド近海で頻繁に行われた核実験の日時を次々と予告したが、すでに高度な知識をもつ情報機関の存在が見え隠れしたと彼は言う。「情報」というのは「組織」に依存しているのかもしれない。
地球の経度と緯度、あるいは地球を分割するような幾何学的な形状に示される『グリッド理論』は難解だが、核爆発を起こすには複雑な計算式と天体の位置関係についての知識が必要とされる。
ところで、「反重力」という物理現象で想起されるのは、UFOの推進原理である。磁石にはN極とS極があって引き合うが、いずれか同じ極性を近づけると反発するので、線路を浮上して高速で走るリニアモーターカーにも応用されている。UFOには翼やプロペラがないので、空気を媒体にして推進しているとは考えにくい。むしろ「重力」を遮断して飛行している可能性がある。磁石の反発によって浮上する島(ラピュータ島)の存在が、スィフトの小説「ガリバー旅行記」に記されているが、反重力と磁場、磁界には、きっと強力な関係があるのだろう。「ベルリッツ」で知られる有名な外国語学校創始者の孫、チャールズ・バーリッツが書いた「謎のフィラデルフィア実験」のテーマも強力な電磁波による駆逐艦の透明化(遠隔移動)であった。アインシュタイン博士の関与もあったようで、彼は当時、電磁力と重力の関連性を数学的に立証、さらに「統一場理論」の完成をめざしていたといわれる。
「航空機の消滅」という事例では、映画「未知との遭遇」(邦題1978年)の冒頭に1945年に失踪した19機の戦隊が当時そのままの姿でメキシコの砂漠に出現するというモンタージュ技法が用いられている。UFOとテレポーテーション(遠隔移動)には関連があるということを示しているが、UFOの飛行原理や航跡が「場」の理論、たとえばアインシュタインの「統一場理論」やB・キャシーの「グリッド理論」に関わっている可能性はつよい。