《未体験塾》 UFOと接近遭遇、至近距離での撮影に成功!
実体験が語る「UFOと宇宙人の真実」
語り手:和田高幸(神秘のUFO写真集「未知の彼方へ」編著者)
No.2 初めての接近遭遇(1974年)
至近距離での撮影を思い立った1980年に先立つこと6年。未確認飛行物体UFO(Unidentified Flying Object)と初めて接近遭遇した1974年は、わたしにとって特別な年であったと思います。就職のため留学先の豪州(オーストラリア)から帰国、しかし前年の第一次「オイルショック」により日本は不況のどん底、電力削減のためTVの深夜番組がなくなり、色鮮やかな道頓堀のネオンも消えていたという年でした。豪州からの帰途、香港でも、飛行機の窓から「真珠の夜景」は見られませんでした。それまでの経済高度成長期を体験していた世代にとっては、まさに異次元の世界です。
当時、花形の職場であった総合商社への就職がままならなくなり、そのため大阪勤務を希望していたわたしは、就職先を求めて履歴書を書きまくったという苦難の時期でもあったのです。その結果、最後の砦と決意していた某新聞社への就職が内定、わたしは夢と希望に胸を膨らませました。若気の至り、怖いもの知らずというか、わがままですこし尖がった心境だったことでしょう。
さて、音楽(管楽器)の合奏練習で、山間にある奈良市中町(富雄)の友人M君(故人)の家から帰宅の途へついたときのこと、わたしたちは、生駒山の尾根づたいを悠々と飛行する3機編成の「空飛ぶ円盤」を目撃しました。オレンジ色に輝き、音もなく、チカチカと発光(点滅)しながら低空を飛行するその存在感に圧倒されながら、わたしは引き込まれるような気持で眺めていたのですが、ただ「なぜチカチカ光るのか」という疑問だけが頭に残り、そればかり考えていたのです。
その直後、友人と別れてバス停に向かう途上、なにか気配を感じて頭上を見上げると、さきほどの円盤でしょうか、頭から数メートルほど、手を伸ばせば届きそうなところをゆっくりと回転しながら、「底部を見せるように」飛行していました。わたしは円盤底部の機械的な構造をじっくり観察することができたばかりか、「なぜチカチカ光るのか」という疑問が即座に解決されたことに衝撃を覚えました。
発光は、点滅でなく「回転」によるものだったのです―。中心にやや大きいオレンジ色の球体があって、やや小さくて白い球体を両側に抱きかかえるように従えて、下から見ると反時計回りに回転していたというわけです。つまり点滅でなく、中心のオレンジ色の球体と両側の白い球体が、パトカーの赤い回転灯のように(斜めの視点ら観察すると)見え隠れしていただけなのです。
ところで、わたしの疑問が発光体にいかにして伝わったのか、さらに言語でなく、直に見せることで答が返ってきたというのはなぜでしょうか。たぶんテレパシーのような通信手段だと思われますが、このとき、「円盤」が機械的な構造物であるばかりか、同時に生物学的な存在であることを確信しました。つまり、機械的な外観をもつ「生物」あるいは「意識体」と表現してもよいでしょう。
わたしたちは乗り物を見れば、だれかが乗っている、あるいは操縦しているという先入観に囚われるのがふつうですが、かならずしもそうでないかもしれないのです。
その一部が、伊丹市美術ギャラリー(1982)や阪急ファイブ(1990)、大阪WTC(1995)などの写真展で、また写真集「未知の彼方へ」(浪速社刊)として紹介されました。当時は地上波TVで超常現象を扱った番組の人気が高く、筆者も「UFO研究家」として度々出現したようです。
このシリーズでは、わたしの実体験から得たUFOの印象、すなわち形体や形状、遭遇した場所や時間、天体との関連、感覚や意識などについてお伝えしたいと思います。さらに海外での取材もふまえ、宇宙人との関連についてもお話ししたいと存じます。どうぞおつきあいください。