暮らし魔法館 UFOと接近遭遇

《未体験塾》 UFOと接近遭遇、至近距離での撮影に成功!
実体験が語る「UFOと宇宙人の真実」

語り手:和田高幸(神秘のUFO写真集「未知の彼方へ」編著者)

No.3 大峰山でのUFO撮影(1979)。ETとの「コンタクト」は?

1979年8月、修験道の一行と大峰登山を果たして洞川の宿屋への帰路のこと、「女人結界の門」あたりから「山上ケ嶽」の上にオレンジ色の発光体が輝いているのを目撃した。一定の地点で数分間発光していたから、下山者のなかには気づいた人もいたにちがいない。このときポジで撮った一枚の写真。夕刻で暗く、露光時間を長くとったためか、オレンジ色の発光体は銀色に写っている。頂上に接地しているようにも見えるが判別は難しい。かなり大きな物体の可能性があるが、往復の登山路では視認できなかった。写真では付近の空中にも金属様の物体が見えるが、フィルム膜面のキズ、あるいはゴミが付着した可能性もあるのでここでは無視することにしよう。

今から約30年前、修験道の祖、役行者が開いた洞川温泉(奈良県天川村)に滞在したときのこと、男子だけに登山が許される大峰山に登った。下山して夕刻となった帰途、大峰登山口にある「女人結界の門」付近から大峰山の山上ケ嶽にオレンジ色の強力な発光体を視認、これを撮影した。写真では銀色に見えるが、撮影時は大きく発光していた。

1979年8月大峰山でのUFO撮影

今回(2020年5月31日)も1979年8月に撮影したUFOの写真と同じアングルだが、当時はNIKONの光学式一眼レフ、今回はデジタル一眼レフを使用した。しかし雨天のためか山上を写すことはできなかった。

2020年5月31日大峰山

ところで、写真(映像)はわたしが勤めていた新聞社での仕事はもちろんUFO研究の上でも大いに役立ったが、今から約四十数年前の結婚時に家内からもらった一眼レフ「NIKON F2」からUFOの撮影が始まったのは間違いない。大峰登山時のこの写真は、UFO研究の原点になったといえるだろう。最後はWTCでの「神秘のUFO写真展~コミュニケーション宇宙と人間・きみはETと出遭えるか」(1995)で締めくくった。

1995年といえば、コンピュータ技術の発達によりすでにデジタルカメラは登場しており捏造もかんたん、従来の「ホンモノかニセモノか」を議論する傾向は減少すると予測された。したがって筆者は、UFOに関しては最先端の、ありったけの情報を集めようと意図したことは申し上げるまでもない。結果として、公的機関が写真展で7万人(有料)の入場者数を記録したというのも異例であったらしい。それはともかく、大峰山、生駒山、信貴山、奈良市(富雄)、大阪市(長居)などで多数の発光体を撮影、さらに知性体(ETI)とのコンタクトも経験したのは事実である。

これまでの記憶を辿ると、コミュニケーションの形態は不明だが、相手方(ETI=地球外知的生命体)にはそれなりの独自のやり方があって、こちらの意識や行動は概ね把握されているのではないかと推測される。コミュニケーションは、一応双方向という前提になるが、応答(レスポンス)の時間軸は相互に異なっているかもしれない。コミュニケーションの形態あるいは媒体は、いわゆる言語的なものだけにとどまらないし、テレパシーのような感覚的なものも含まれるだろう。脳が受容する情報には、とくに「意識」せずとも非言語的なものも少なくないと思われる。

外宇宙のETIが通常おこなうコミュニケーションの手順(マナー)は、わたしたちが当然と思っている(言語的)なやり方とはかなり異なる可能性がある。生命体が進化する過程、あるいはその歴史といってもよいが、時間や空間の概念、生存する環境は個体によりそれぞれ違っている。だから類似の生命体であろうとも、双方向のコミュニケーション(意思疎通)に至るまでの前提条件はリニア(線形)ではない。とはいえ、多くの現代人は、相手(対象)を自分と同等の教育を受けた、あるいは共通の思考形式をもった存在とかんがえているが、ヒューマノイド型「宇宙人」のいくつかについては、そういった想像の産物といった可能性も否定できない。

それはともかく、双方向のコミュニケーションを意図した、一方的な動機づけというか、信号とか合図のようなものが一方から送られている可能性もある。ただ気がつかないだけかもしれないのだ。一時流行語となった「忖度(そんたく)」も相手の反応を慮って(予測して)の行為という点で、高い知能による関与が認められる。英国の小麦畑をキャンバスに描かれる「クロップ・サークル」もその類だろう。「おれたちはここにいるよ・・」と合図しているようだ。

クロップ・サークル

【YouTube】UFOとの遭遇 和田未体験塾-012 大峰登山でのUFO撮影(1979)。ETとの「コンタクト」は?